ヒマラヤハウス® では、「美しく豊かな環境創り」を日々追究してきた結果、全ての人々と環境が益を生み、活きるには‘公共性’が必要不可欠であると理解しました。
環境に‘公共性’が在ることは大変重要です。
皆さんもご一緒に‘公共性’について、考えてみましょう (^_^)/


○ ヒマラヤハウスの想う公共性

公共性とは (公益と私益)

日頃、私たちが迷惑や不快に感じる行為には、‘公共性’が関係しているとわかりました。
「公共性とは、自身と周囲の環境(全体)が秩序に基づいて活きる、‘理益りえきを生む’こと」だと、ヒマラヤハウスは捉えています。

‘公共性’を辞書で調べてみると、「広く社会一般の利害にかかわる性質、広く社会に影響をもつ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること。」(大辞林)、
「広く社会一般に利害や正義を有する性質。」(広辞苑)と定義されています。
また、‘公共性’は英語で、「publicness、public natures」ともいい、「public」は「全ての人々のために、全ての環境のために」という意味を含み、「natures」は自然、自然界、自然力、自然現象という意味の他にも、自然の女神造物神という意味があります。

このように公共性の定義には、社会一般の利益という不可欠な要素があります。
ここで、社会一般の利益とは、「全ての人々のために、全ての環境のために」という意味を含む「公益」につながり、「公=全体的」、「益=役に立つ、ためになること」を意味します。
「公益」とは全てにおいて益となる=環境全体の益となる「環境の利(理り、ことわり)」であり、理とは、真理、道理、摂理といった「ことわり」を顕し、自然(宇宙)の法則、秩序と言えます。

つまり、‘公共性’とは私たちが、環境の理(ことわり)=秩序 に沿って、自らの存在と共に、周囲の全ての環境を活かし、公益である「環境全体の理益=純粋な摂理に基づく益」を生むことである、と理解できます。


次に、公益に対しての私益について考えてみます。
「私」は、「公=全体的」に対して、「私=個人的、私事」となります。
私(個人)がエゴ(自我)より、自らのためだけに追求した益が、「私益」であると考えます。
公共性が「公=全体的」から「公益=純粋な益」を生むのに対して、私(自我)は、エゴより「私益=私利」を作り出します。
その結果、私益(私利)は、純粋な摂理に反して、他者または周囲の環境への侵害行為を引き起こすと考えられます。

日頃、周囲の環境において、自らの意思に反して、粗暴粗雑さなどの無秩序性を五感で感知することにより、不快感を覚えたことはないでしょうか。
また、生理的に、きれいに整えられた清潔な部屋に居ると快適さを感じ、片付いていない乱雑な部屋に入ると不快に感じませんか。
私たちは、自然本来の性質から、自然界と同様に、秩序正しく豊かで美しい環境においては、心身が健全さを増し快適さを感じ、逆に秩序の乱れは不快に感じるように設計されているからです。

私たちは本来の生理や直感より、環境全体の理や正義を感じ取り、公共性を捉えることができるのだと思います。
周囲の環境において、無秩序=「公共性の欠如」を感知し、無意識に不快感を覚えるのは、多くの環境が私益の追求により成立しているからだと考えられます。
私益による無秩序とは個人の生活領域を侵害する行為なのです。


純粋な摂理(秩序)

私たちは、自然界(宇宙)の一部であり、自然界は自然の法則によって統治されています。
自然の法則とは、自然界、生命、そして宇宙を管理している諸法則であり、秩序(純粋な摂理)そのものです。
ですから、私たちも当然、存在自体が既に自然界のあらゆる秩序により統治され、管理されています。
つまり、私たちと周囲の環境は、純粋な摂理(秩序)と共に在り、秩序に沿って活かされています。

純粋な摂理とは、自然界の本来在るべきかたちの不変の秩序です。
純粋な摂理は、私たちに内在する純粋な知性より理知や良心として顕れており、善悪を判断する基準をかたちづくっていると言えます。
それら自然界の秩序から派生して、教義、法律、規則、規範、道徳、マナーといった人間社会のルールが時の集合意識により成立していると理解できます。
日常、私たちは周囲の環境と関わるなかで、それらの秩序と共に在り、活かされています。

理知
知性の働き、人間に本来備わる真理に則して物事を正しく認識し判断する知的能力を意味します。

純粋な知性より顕れた私たちの理知は正しく機能すれば、自ずと純粋な摂理を認識できると考えられます。
私たちは理知に従い、周囲の環境との関わりのなかで、自然界の秩序、社会のルールに沿って、自身を調和的に活かすことにより、効率的で豊かな暮らしを享受することができるでしょう。
このような状態は、公共性が育った理想の環境と言えます。


公共性の欠如 ・ ・ に対して

私益を追求した企業による環境破壊や、私益を優先した誤った自己保存による迷惑行為(後述:大衆性、いじめ参照)など、他者または周囲の環境を侵害する問題の多くは、「公共性の欠如」に起因すると考えられます。

秩序を侵すことは、他者の領域、周囲の環境を侵害するばかりか、自然の法則の顕れであり、恩恵を受けている私たち自身の存在をも危うくすることにつながります。
人という存在は自然界より生まれ、自然の法則に沿って育まれ活かされています。
私たちが活きる場は、自然界の秩序より与えられており、公共性なき無秩序の環境に私たちの活きる場はないと考えられます。

全てのあらゆるものが他のあらゆるものと相関関係にあり、成り立っており、互いに支持されています。
自らの理知で秩序を捉え、意思をもって秩序を支えることが自身を活かし、環境を活かすことになります。
私たちは、本来、公共性に基づき、自身と共に他者と周囲の環境を互いに調和的に活かすことができるのです。

現代社会において、環境に関わり他者への侵害行為となる問題は様々で、その対策も複雑化していますが、問題の原因をたどると、その多くが「公共性の欠如」に行き着くものと思われます。
ゆえに解決策は明快で、環境全体の理としての‘公共性’の復活にあると考えます。
ここに、 ヒマラヤハウス® が、‘公共性’を重要視する理由があります。

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○ ヴェーダと公共性の復活

私たちは、私たち自身と周囲の環境を活かす、公共性(秩序)に基づいて、活きるべきと心得ます。
そのためには、私たちを含めた環境において、「公共性の復活」が強く望まれます。


私(個)から公(全体)へ

公益(純粋な益)に対して、私益(私利)は公共性の欠如に起因し、他者または周囲の環境への侵害行為となり、無秩序につながります。
現在の社会では、「私」は、多数の側につき同調するという、誤った大衆性(無秩序)に迎合する傾向が多分にあるようです。

大衆性
通常は一般民衆に親しまれ同感されるような性質とされます。(広辞苑)

《 このような大衆性の一例として、いじめがあります。
多勢で一人をいじめ、いじめを行なう多数の側に同調、迎合しないと、自らもいじめにあうという秩序のない行為が、大衆のなかでは一般化され繰り広げられています。
いじめは、2012年秋頃より大津市のいじめ自殺事件が社会問題となっていたため、取り上げました。


一般的に大衆性を表す「私」はエゴ(自我)ですが、本来の純粋性が復活した状態の「本当の私」は真我であり、「全体性」に統合されます。
純粋な知識 ‘ヴェーダ’ では「純粋極まりない本当の私」は アートマン=真我 であり、 ブラフマン=全体性 (宇宙の統一原理、宇宙の根本原理)に至り合一となる、という自然界(宇宙)の創造の原理を説いています。

私(自我)ではなく、本当の私(真我)は、自然界の本来の姿より、公共性をかたちづくります。
私は、 本当の私=アートマン に回帰し、 ブラフマン=全体性 へと至るため、環境全体の理益を生む「公共性の復活」を成すことが可能です。
本当の私は公共性と共に在り、全体の、あらゆるもののためになる、純粋な益を生むことができます。
公共性が復活し、環境に秩序が確立されれば、肯定性の高まりとともに、否定性による無秩序は自然と淘汰されることでしょう。


ヒマラヤハウスの創造活動 ~ 公共性の創造

私たちヒマラヤハウス® は、私たちを含む環境に純粋性を復活させることをめざし、 『 空間ヒーリング® 』 を通じて創造活動を行ないます。

広く公益を生む‘公共性’には、純粋性が必要であり、純粋性を復活させるには、純粋な知識‘ヴェーダ’が不可欠です。
『 ヒマラヤハウス® 』 という名称は、ヴェーダを象徴する聖地(発祥の地)で、地球の知の中心(地球のへそ)である「ヒマラヤ」と、私が回帰すべき家という意味の「ハウス」に由来します。
それは、私がアートマンに回帰しブラフマンへと至る、自然界の創造の原理を示唆すると共に、ヒマラヤハウスの創造活動を意味します。

ヒマラヤハウスでは、純粋な知識ヴェーダより、私益ではなく、全ての人々と全ての環境のための公益となる「全体性=環境全体の理ことわり」の創造を目的としています。
私(個)に対して、公益を生み活かす、ヴェーダ=ヒマラヤは「公」であり、全体性を顕します。
ヒマラヤハウスは、ヴェーダの叡智より、私たちを含めたあらゆる環境に「全体性=環境全体の理」の大きな広がりを創造することを目的に、地球上に築き上げられた 『大きな公の家』 = ヒマラヤハウス として創造活動をしています。

ヒマラヤハウスの創造活動は、自然の女神の恩恵より生(な)されます。
‘公共性’は英語で、「public natures」ともいい、「natures」は「自然の女神、造物神」という意味もあります。(前述)
ヴェーダでは、豊かさと美しさの女神ラクシュミと知性の女神サラスワティはよくよく知られています。 
自然の女神=造物神は、産み、育くみ、死と生を司るという、まさに創造性を顕します。

「創造=Create」とは、生み出す、表現する=「デザイン」であり、自然の女神の創造性はヒマラヤハウスの 『 空間ヒーリング® デザイン 』 を確立していることが理解できます。 
『 空間ヒーリング® デザイン 』 は、環境のヨーガ(=統一学)とも言われる‘ ヴァーストゥ - インド風水 ’に基づいた「環境のデザイン」であり、環境に純粋性を復活させることを目的に開発された「空間ヒーリングのArt」として具現化されています。

ヒマラヤハウスの空間ヒーリングデザインはヴェーダの叡智より、不活性・不全となっている自然の法則の活性化をめざすことにより、本来の在るべき純粋な状態への想起が意識されます。
私たちを含めた環境に純粋性が復活することにより、本当の私への回帰が意識され、全体性に至ることにより、‘公共性が創造’されることでしょう。

※ ラクシュミ / LAKSHMI
富と幸運と美を司る古代インドの女神で、大地の女神とも、穀物の女神とも言われています。
4本の腕を持ち、赤い蓮の花に乗った美しい姿で描かれます。日本では吉祥天として知られています。

※ サラスワティ / SARASWATI
芸術と学問などの知を司る古代インドの女神で、水と豊穣の女神とも、言葉と音楽の女神とも言われています。
4本の腕を持ち、孔雀を従え水辺に座りヴィーナ(琵琶)を弾く姿で描かれます。日本では弁才天として知られています。


ヒマラヤハウスの空間ヒーリングアートをご愛用されているお客様より、以前にも増して周囲の図々しさや、周りの行動に腹立たしさを感じるようになったというご感想をいただくことがあります。
空間ヒーリングアートを活用することにより、純粋性の復活がめざされ、意識の深いレベルより公共性が育ち、周囲の公共性なき無秩序を五感が感知するようになったと、想像できます。
精妙な意識が環境、自身、広く次世代への侵害行為を捉え始めたのでしょう。

参考までに、ヴェーダの一部門であるジョーティシュ(ヴェーダ占星学)によると、地球上の全ての環境は太陽と月を含む9つの星(グラハ)の影響を受けるとされています。
ジョーティシュでは、公共性は‘月’に関係しているとされ、月は現代社会において著しく欠如している質のひとつと考えられます。
月の質は、公共性、やさしさ、心、感情、水、血液、乳房、子宮、等を意味します。
私たちには本来、不活性領域を補うよう理知が働くため、空間ヒーリングの「月 - 公共性」に関係するアートは人気があります。
ぜひ、公共性の復活をめざし、ご活用ください。

9つの星(グラハ)
太陽(スーリヤ)、月(チャンドラ)、火星(マンガル)、水星(ブッダ)、木星(グル)、金星(シュクラ)、土星(シャニ)と、太陽と月の2つの交点であるラフー、ケートゥを指します。


ヒマラヤハウスでは、「全ての人々が自身の場(本来性)を活かすと共に、環境全ての理(ことわり)を守り・生き、全ての環境に益を生み、そして、純粋な知性のさらなる展開を生かすことが最高の‘公共性’である」と確信します。

ぜひ、私たちヒマラヤハウスとともに、「 美しく豊かな環境創り - 公共性 - 」 を創造していきましょう。